私はこの星の巡礼
カミーノを歩いているように毎日を歩く
ふと気がつくと、日常こそが巡礼なのだった。
カミーノを歩く何人かは、自宅のドアからが巡礼だと言っていた。
彼らは帰ってからも日常という巡礼を続けている。
ベルギーから歩いていたイヴォンヌとクロディーヌ。
二人は2200キロ歩いたその記録を本にまとめて出版したそうだ。
Publier un livre avec Le Livre en papier - Pas à pas vers Saint-Jacques de Compostelle
ルピュイの大聖堂で初めて出会って、ロカマドールへ行く途中でまた会った二人。
2200キロも歩いていたんだね!
聖地へ向かうことだけが巡礼じゃない。
日常の中に聖地を見出すこと。
美しいものは世界に溢れている。
感謝すべきものはそこら中に満ちている。
大いなる巡りの中で、今日も私たちは生かされている。
毎日ありがとう。
Etape25 Lauzerte ~ Moissac
Etape 25 Lauzerte ~ Moissac 27km
この日はさすがにたくさんの巡礼とすれ違った。
昨日のイースターに続き、Lundi de Paqueでまた祝日。
前を歩いていたのはインド人の女の子巡礼。(フランス国籍)
ロゼルトの宿で一緒だった学生で、8月に日本に行くと言っていた。
東京を観光するのに何日見込めばいいか。
夕食の時、彼女に聞かれたが、一日でいいと私は答えた。
それより京都に行ったほうがいいよ。東京は人も多いしうるさいから。
「KYOTO」と彼女は繰り返した。
Chapelie St-Sernin du-Bosc
道の途上に、素朴だが可愛い教会がポッカリと現れた。
サン・セルナンの教会。
そしてまた緑と土の匂いのする巡礼道を行く。
休憩所の前後で、何人かの巡礼とすれ違いながら挨拶を交わした。
みんなモワサックより先に行くようだった。
でも私の今年の巡礼は、今日終わる。
ゆっくりゆっくり歩こうと思った。
Chapelle d'Espis
デスピスの教会は閉まっていた。残念。
聖母マリアが幼い少年の前に何度も出現したという教会だ。
このようなマリア様出現の地が、フランスの田舎には結構残っている。
古き時代の信仰の深さを思わせる。
教会を過ぎるともうモワサックは目の前。
早く着きたくて、知らぬうちに歩く速度が速くなる。
でもいつだって大きな町では、町に入ってから宿までの距離が長いのだ。
私は明日、モワサック駅からパリへ行く。
宿にチェックインした後、下見がてら駅まで歩こうと思った。
でもその前に、絶対に外せないのがサン・ピエール修道院だ。
L'abbaye Saint-Pierre de Moissac
堂々たる世界遺産。
サン・ピエール修道院の回廊はフランスで最も美しいとも言われる。
(私はエクサンのサン・ソヴール大聖堂が一番だと思う)
聖書に詳しい人なら、柱の一つ一つに刻まれた物語を味わえる。
でも詳しくなくても、物語を想像できる。
かつて文字が読めない民衆たちに、教会は装飾絵画により教えを伝えたのだ。
この日はミサは行われなかった。聖堂内はひたすら静かだった。
Ancien Carmel
ルピュイ巡礼、最後の宿は教会付属のアンシャン・カルメル。
大人数を収容できる宿だ。
一人部屋を頼んだはずが、ドミトリーだった。
同室になった一人の女性は足を痛めて眠っていた。
明日も歩くのは控えると笑った。
同じく上のベッドにいたのは、この日途中で出会った若いスペイン人女性。
彼女も今日で巡礼は終わりだと言った。
Vue de la ville de Moissac
モワサック駅は無人で閑散としていた。
明日ちゃんと帰れるかな。まあ、きっと大丈夫だろう。
私はそれから町中を、ひたすら歩きに歩いた。
アンシャン・カルメルに戻ってから、さらに続く細い階段の道を上った。
突き当たりの丘の頂上にマリア像が建っていた。
マリア様目線で、モワサックの町を一望する。
さて。 この後に面白い一件があった。
修道院付属の売店で、私は最後に特別なギフトをヤコブ様からいただいたのだ。
それは・・・私がずっと探していた修道院プロダクツのオイル。
「Fleur de Magdala」だった!
サントボームの修道院で購入して以来、気に入ってずっと使っていたものだった。
でも日本では購入できず、フランスのどこの修道院でも売っていなかった。
実は巡礼中、修道院に入るたび、私はこのオイルを探していたのである。
それがやっと最終日にモワサックで発見できたのだ!
私は嬉しすぎて、店員さんに思わず言った。
「ずっと長い間、私はこれを探していました」
「私は今日で巡礼を終えます」
「まさに今日、最後の日に、このオイルと出会えました!」
店員さんも思わず感激。
手厚く包んでくれ(基本的にフランスでは包まない)、おまけもつけてくれた。
これは本当に本当に嬉しい出来事だった。
書くことで、巡礼が本当に終わっていく。
終わることを許すことができる。
終わるから、また新しく歩き出せる。
歩く道があり、歩ける体があるということが、ただただありがたいと思う。
Etape24 Lascabanes ~ Lauzerte
Etape 24 Lascabanes ~ Lauzerte 24km
ラスカバヌを出てまもなく、前を歩く巡礼の後ろ姿を見かけた。
若い男性だ。
誰かの後ろ姿を見ながら歩くのはスペインの時は普通だったが、今回はレアだ。
私は気になって早足で彼に近寄った。
と、ちょうどサンジャンの教会が出現し、彼は中に入った。
私もその後を追って入った。
Chapelle St-Jean
わたし 「(見知らぬ聖人を見上げて)これ誰?」
彼 「知らない」
わたし 「(教会由来の説明書きを読んで)よくわからない」
彼 「(読んで)僕もよくわからない」
間
彼 「君、日本人?」
わたし 「そう。あなたはフランス人」
彼 「うん。僕ミカエル。君は?」
わたし 「MIKI」
彼 「MIKI?」
わたし 「そう。・・・ミカエル? ミッシェルじゃなくてミカエル?」
ミカエル「うん」
わたし 「(翼を広げたアクション)大天使ミカエル?」
ミカエル「そうだよ。僕モンサンミッシェルから来たんだ」←ジョークです
ミカエルは20代半ばくらい。
つるんとした印象の、勉強ができなそうな(失礼)カワイイ男の子だった。
私はいっぺんに彼が気に入った。
教会を出てしばらく、私はミカエルの背中を見ながら歩いた。
歩くスピードが同じくらいだったから距離が縮まらず、そこが良かった。
守護天使に出会ったぞ、と私は思った。
大天使ミカエルに導かれて歩いているようで、嬉しかった。
Montcuq
モンキュの町ではマルシェが開かれていて、賑やかだった。
モンキュというと「Mon cul(私のお尻)」かと誤解したが、綴りが違う。(当然だ)
不思議な楽器でパッフェルベルのカノンを演奏している男性がいた。
その美しい音色に足を止めて聴き入ってしまった。
観光案内所の前でミカエルと遭遇。
彼はここで宿を予約したらしい。
でもイースターだからどこも満室だと言われたそうだ。
私は昨日の予約が取れているかが気になっていたので、問い合わせることにした。
わたし「ロゼルトの宿に泊まりたいんですけど」
案内係「今日はどこもいっぱいよ」
わたし「昨日、ラスカバヌのジットで予約を頼みました。確認したいのです」
案内係「聞いてみましょう。(電話して)でないわ。つながらないわね」
わたし「(不安になって)・・・他の宿を予約できますか?」
案内係の女性とおじさまは親切で、片っ端から電話をかけてくれた。
だが、ロゼルトの宿はホテルもどこも既にいっぱい。
途中にある小さな村ではどうかと聞いたが、やめたほうがいいと断られた。
困っていたら、案内所の電話が鳴った。
何やら話している。ジャポネーズと聞こえたから私のことらしかった。
案内係「ロゼルトのジット・コミュナルに予約できてるって」
わたし「!」
案内係「15時以降にいらっしゃいって言ってるわ」
わたし「ありがとう!」
ラスカバヌのセシルがちゃんと予約してくれていたのだ。嬉しかった。
それからは軽快に足が進んだ。
菜の花畑を過ぎ、森に入ると、カエルが大合唱している緑色の沼に出た。
カエルはフランス語でグルヌイユ(Grenouille)。
奇妙な言葉だと思っていたけど、低くギュルギュル鳴く声を聞いて納得した。
日本で表記するようにケロケロなんて鳴かない。
ギュルギュル・・・グルヌイユだ!
沼の一帯は、魔女が出てきそうなグロテスクな雰囲気が漂っていた。
魔女の沼の後はロバさんと遭遇。瞬時に心安らぐ〜。
Lauzerte
ロゼルトに入る頃には小雨が降っていた。
イースター当日だというのにうら寂しい。
とはいえ教会前の広場では植木市が開かれ、賑わっていた。
教会を出て雨の中、ジットを探して彷徨っていたら、宿の中から声をかけられた。
声の主はコリンヌ。ジット・コミュナルの管理人だった。
日本人の宿泊者は珍しいので、すぐにわかったのだろう。
Gîte communal de Lauzerte
チェックインしてお茶を飲み、体が温まった頃、コリンヌが部屋割りを告げた。
「今日MIKIの部屋はスペシャルよ。イースターで部屋はどこも満室」
「でもセシルに頼まれてね。どうしてもMIKIを泊めてあげてって」
「だから私は夕食後、サロンにあなた専用のベッドを作ります」
「MIKIは今夜羽布団で寝るのよ、王妃みたいにね」
イースターの奇跡!
私はその日、ドミトリープライスで広いサロンを独り占め。
わたし 「どうしてそんなに親切なの?」
コリンヌ「(抱きしめて明るく)普通のことよ。巡礼には誰だってそうするわ!」
サロンにはたくさんのカミーノに関する書籍や地図が置かれていた。
私は机に置かれていた大判の写真集を開いた。
そこには今まで歩いてきたルピュイの道とロカマドールの写真があった。
歩いたよ、ここ。ここも行ったよ、通ったよ。
グラビアの美しい景色や聖堂が、全部体の中に記憶として入っていた。
写真よりも確かに。そこで出会った人たちとの思い出と一緒に。
イースターにモワサックにはたどり着けなかったけど、これでいい。
完璧だ。
私は確信していた。
完璧に信頼していい。この世界は私を裏切らない。
たとえ私の目にどのように写ろうとも、私は世界から愛されている。
Etape23 Figeac ~ Lascabanes
Etape 23 Figeac ~ (Cahors) ~ Lascabanes 22km + Bus
9:40 (Autocar 55509) FIJEAC 発
11:19 CAHORS 着
フィジャックからカオールへのバスはあっけないほど簡単に来た。
私の他に乗客は二人。
バスの運転手さんはご機嫌で、ラジオの曲に合わせて一緒に歌っていた。
ほぼ時間通りに駅に到着。
街を抜け、勝手知ったる(?)ヴァラントレ橋を渡り、GR65の道に出る。
ルピュイの道、再開。
GR65! もうこの数字以外考えなくていいのだ!
今日からはまた、迷わないように何度も標識を確かめることはない。
その安心感といったらなかった・・・。
快晴。暑くなってきた。
初っ端から急激な登り坂。覚悟を決めて軽装になり、ガシガシ登る。
高台から見下ろすカオールの街とロット川。
途上の十字架に心惹かれる。見つけると写真を撮ってしまう。
この日の目的地はラスカバヌ。
ここにある教会付属のジットでは足を洗うミサを施してくれるという。
すでにフィジャックから予約は入れていた。あとはたどり着くだけ。
昼も食べずに黙々と進む。
途中のベンチで休憩中のムッシューに会った。
隣に座り、遅いお昼をようやく食べた。
クロワッサンをもりもり頬張っていると、ムッシューが笑って言った。
「君、今から朝食かい??」
続いてベンチにやってきた二人のマダムは、汗だくだくだった。
顔は真っ赤、肌も日焼けして水ぶくれになっていた。
装備も靴も新しかったから、巡礼初心者と思われた。
どこから歩いているかと尋ねると、カオールからだという。
ということは、初日である。
二人はサンチャゴまで行くといったが、その荷物は明らかに重すぎた。
何かを捨てなければ歩き続けられないだろうと思った。
でもそれは歩くうちに、彼女たちが自分で理解していくこと。
他愛無い話以外、私は二人に何も言わなかった。
巡礼では自然とその人に必要な学びが、もたらされるからだ。
『LE NID DES ANGES』
『天使の巣』という名前のジットに向かう。標識に名前が書かれていた。
教会の扉に張り紙。ミサの時間が書かれている。
オーナーのセシルは美人で、いかにもフランスの女性という感じ。
到着した私に、飲み物は何が欲しいかと笑顔で尋ねた。
「冷たい水」というと、冷蔵庫から冷えたカラフの水を出してくれた。
美味しかった。
部屋にあったパウロ・コエーリョの本。巡礼者はみんな読んでる「星の巡礼」。
ここまで歩いてきた自分の足をねぎらって・・・パチリ。
これから足を洗うミサに行く。
ミサは18時に行われた。参加者は三人だけ。
どこからきたか、名前は何かと司祭に問われて答える。
朴訥な司祭は話があまり上手くない。
つっかえつっかえ、聖書の中の詩句を読んだ。
それでも誠実にミサを進行し、私たち巡礼者を丁寧に祝福してくれた。
私は彼に折り鶴をプレゼントした。
夕食が始まってから、遅い巡礼が到着した。
途中で出会った二人のメダム(本日初日)だった。
彼女たちとは部屋も一緒だった。
二人のうち一人はアルザスから来たと言っていた。
わたし「アルフォンス・ドーデの『最後の授業』の舞台だね」
マダム「知らないわ」
わたし「アルザスの話・・・(有名じゃないのかな?)」
マダム「知らないわ」
わたし「じゃあ、アルザスといえば、シュークルート?」
マダム「!」
さて、翌日はイースターである。宿の予約をしなければならない。
わたしはセシルに頼んだが、彼女は忙しそうだった。
「これから別の教会に聖歌隊の練習をしに行かなきゃいけないの」
「でもあなたのことは予約しておくわ」
「今から出て、明日も会えないけど連絡しておくから。じゃあね!」
そんなようなことを早口でセシルは言い、出て行った。
不安は残ったが、委ねるしかあるまいと腹を括った。
モワサックまであと51キロ。
私のルピュイの旅も終わりに近づいていた。
Etape22 Lacapelle Marival ~ Figeac
Etape 22 Lacapelle Marival ~ Figeac 21km
いきなり2ユーロくれと請求される。
あきらかにフランス人じゃない。
いつもなら言葉のわからないフリして無視するのだが、払ってしまった。
手を出してきた男性があまりにも「出すのが当然だろ」オーラだったからだ。
ホテルの前で彼はずっと待っていたようだった。
歩き出し早々、気分が悪くなった。
日本語で文句を言いながら歩いた。
そのうちに空が晴れてきた。次第に気分も明るくなってきた。
Figeac
再びのフィジャック。
ここでベルナールとジャン・ピエールと別れた。
ウルリケとも偶然再会して別れた。
チケットを予約していたのにロカマドール行きのバスは来なかった。
こんな町、大嫌いだと思ったフィジャックに、11日後にまたやってきた。
だが一度来た街だと思うと安心感があった。
この町の聖堂もスーパーもカフェも案内所も、私はすでに知っているのだ。
『Chez Célia』
予約する際、夕食が出せないけどいいか、と言われた。
自炊するから構わないと答えて決めた宿は『Chez Célia』。
オーナーのエレノワールは日本の漫画が大好きだと笑った。
彼女のイチオシは『蟲師』だった。
「福島のことを心配しているの」
「原子力はもう私たちに必要ないと思う」
「私の家では10年前から太陽光発電で賄っている」
「現在フランスには原発が58基ある」
「でもこの国は地震も少ないし、国土も広い。静かなものよ」
エレノワールのいれてくれたお茶を飲みながら、私たちは核について話した。
私の語彙が少なく、会話は困難だったが意見は一致した。
「日本の言葉には魂が宿っているんでしょ。本で読んだわ」
「美しい日本の精神を汚染しないで欲しい」
Musée Champollion
宿のすぐ近くに、ロゼッタストーンを解読したシャンポリオンの博物館があった。
ここが実に面白かった。
ヒエログリフから各国の言葉の成り立ちについての説明が詳細になされていたのだ。
中国由来の漢字コーナーもあった。
エレノワールがなぜ「日本のコトダマ」について知っていたのか、ここで分かった。
幼少時から天才と名高く、9歳でラテン語を話し、16歳で12の言語をモノにした!
苦学してコプト語を習得し、ヒエログリフの解読に没頭。41歳の若さで死去とのこと。
Place des Ecritures
博物館を出て本屋に入った。
そこで売られていたポストカードの中に、エクリチュール広場の写真があった。
私は、どうしてもそこに行きたくなった。
ポストカードを買うついでに店員に、
「ここ、どこですか?」とたずねて、教わった旧市街にある場所に向かった。
ロゼッタストーンの拡大複製。なんだか楽しい。
シャンポリオンに出会った後だから尚更だ。
最初に来たときは、大嫌いだと思った町、フィジャック。
でも戻ってきて、大好きになった。
たった一つの懸念は、明日のバスがちゃんと来てくれることだった。
フィジャックからカオールまで、明日は絶対バスで行かねばならないのだ。
同じ道をまた歩いていたら、日本に期日までに帰れなくなってしまう。
カオールに到着後、その足でラスカバヌまで22キロ歩くのを私は予定していた。
どうかバスが来てくれますように・・・。
宿泊者一人きりのベッドで、私は祈りつつ眠りについた。
Etape21 Gramat ~ Lacapelle Marival
Etape 21 Gramat ~ Lacapelle Marival 25km
ラカペル・マリヴァル。
魅力的な響きを持つこの町の名前は中世の伝説に由来するという。
732年、ポワティエの戦いのあと。
ムーア人の襲来で殉教した若い羊飼いを弔う教会が建てられた。
その教会の名が「La chapelle de Marie del Val」。
時を経て少しづつその名が変化し「Lacapelle Marival」となったらしい。
(ガイドブック『ミャウミャウ・ドードー』に書いてありました)
Gramatを出てしばらくは高低差のない牧草地を歩く。
Issendolus
イッサンドリュの教会には、マリア様と並び「聖女フローラ」が祀られていた。
聖女フローラ。
彼女はペストの病人を癒すなど、数々の奇跡を起こしたそうだ。
3年間眠ることなく祈り、主への奉仕と献身の日々を過ごしたという。
(と、教会の説明書に書いてありました)
L'Hôpital
Hôpitalという村を過ぎる。オピタルとは病院の意味。
フランスの田舎ではよく見かける地名だ。
中世の救護院があった場所なのだろうか。
ハエでいっぱいの馬。目の中までハエが・・・。
菜の花畑で気分は一気に舞い上がった。
舞い上がった挙句、道を間違えたのだが、まあそれもよし。
日の高いうちにラカペル・マリヴァル到着。
歴史的建造物である市役所の庭で昼食をとる。
すぐ隣に聖堂と古城。
かつては美しい村だっただろうと思わせる、石造りの街並み。
『La Terrasse』
予約していたホテルもすぐそばだった。
『La Terrasse』というレストラン併設の小さなホテル。
宿泊者は私一人。久しぶりに100ユーロ札を使った。
部屋はごく普通。静かで快適だが、洗濯物を干す場所がないのでちと困る。
荷物を置いて、いつものように、ふらりと外へ。
ラカペル・マリヴァル散策。
中世の趣はあれど、廃れた感が否めない。
カメラ目線で迫ってきたラカペル猫。にゃあ!
Au restaurant
レストランにて。この日の夕食もたった一人だった。
給仕してくれたスペイン人の夫婦も暇そうだった。
私は二人からいろいろと質問された。
「テレビで見たんだけど、日本人ってすごく小さい家に住んでるって本当?」
「あなたの部屋は何アール?」
「日本では24時間お店が開いてるって本当?」
「日本人はバカンスがないって本当?」
・・・なかなか辛い質問でした。
前菜
肉料理(鴨)
デザート
スペイン人の夫婦がどうしてこんな田舎でホテルをやってるのか。
質問したかったけど、逆に質問責めにあい、疲れてしまったからやめた。
ひとりっきりの旅に慣れすぎたせいもある。
みんなと一緒にワイワイ食べる夕食が恋しかった。
Etape20 Rocamadour ~ Gramat
Etape 20 Rocamadour ~ Gramat 15km
ロカマドールからフィジャックへの道、GR6を行く。
この日もまた一人、静かなるカミーノ。
Gorges de I'Alzou
アルゾー渓谷。せせらぎの美しさに身を清められる思い。
足を滑らせぬように注意しつつ歩くうち、出現する苔むした遺構群。
Moulinとあったから、水車小屋か製粉所の跡か。
不思議な空間に紛れ込んだようで、しばらく動けなくなった。
いつか見て忘れた夢の中に佇む気持ち。
急な勾配の道。写真では伝わらないけど、このままこの角度で登る。
めっちゃハード。Je suis morte!
ほどなく、Lauzouに近づくと、牛の糞の匂い。
民家が近いと知らされる。
途上で出会うのは人ではなく家畜ばかり。
それでも生き物と出会うことが嬉しい。
みんな同じ土の上で生きている。
墓地が見えるともう町の入口だ。グラマの町。
Le Grand Couvent
この日の宿は修道院『Le Grand Couvent』。
わたし 「ここ、大きな修道院ですね〜」
シスター「そうよ。大きい修道院(グランド・クヴァン)だもの」
わたし 「(日本語で)まんまっスね〜」
受付をしてくれた二人のシスターから、今日の宿泊者は私一人と聞かされる。
ドミトリー・ベッドの並んだその奥に、個室があったのでそこを陣取る。
荷物を整理し、洗濯を済ませ、セントル・ヴィル(中心街)へと散策に出る。
まずは観光案内所で、明日の宿を予約。
案内所のマダムが言うのは、明日行く予定のLacapelle Marivalにジットはない。
宿は星付きホテルのみ。
普段の三倍の値段になるが、朝食と夕食付きで予約した。
グラマの町のシンボルは羊らしい。
案内所の売店には羊のぬいぐるみも売られていた。カワイイ柔らかい〜!
とっても欲しかったけど荷物になるから泣く泣く断念。
さらに案内所の一隅には、プチ民族博物館まで設けられていた。
ここでも隠れ愛されキャラが笑っていた〜❤️
おまけ。
店に売ってたホワイト・アスパラ。食べてみたいが一本だけでは売ってくれない。
Dans la chapelle
修道院に戻って、教会へ。
マリア様に向かうと心がしんとする。祈りの時間が自分をクリアに戻してくれる。
部屋に戻って日記を書いていたらシスターが来た。
夜にもう一人、ここに泊まる女性が来るという。
その女性は近くの病院に療養に通っており、時々ここに宿泊しているのだそうだ。
「わかりました」と私は返答し、ラジエーターの上に広げた洗濯物を取り込んだ。
Le dîner
19時。夕食のため別棟へ行く。
ベトナムから来たというカトリック学校の学生たちが、大勢で廊下を駆けて行った。
みんなまだ十代前半の子供たちだ。
私は彼らの隣の部屋で、一人っきりで食事をした。
大声ではしゃぐ子供たちの声を聞きながら食べる夕食。
美味しかったけど、さびしかった。
前菜
肉料理
肉は羊だった。一人なのに5人分くらいの量。
チーズもたんまり。丸いのは、なんと「チーズ・イン・チーズ!」。
ちくわみたい。チーズの中に別のチーズが入ってダブル味。
全種類、ちょっとずつ食べる。食べきれない。
デザート
上にのっているのはリンゴ。下はクレープ包みのアイスクリーム。
この他に、もちろんパンも食べ放題、ワインもコーヒーも飲み放題。
残すのも申し訳なくて、たった一人でやばいほど食べてしまった。
(ちなみに朝食も込みで宿泊費は29ユーロ)
Bonne prière
食事の後、堂内を探検していると礼拝堂を発見。
礼拝時間は終わり間近だったが、シスターに頼んで入れていただいた。
「Bonne prière」と笑顔で言われ、いい言葉だとメモをとった。
Au dortoir
ぎゃああああああああ!
部屋に戻ってドアを開けたとたん、叫び声が轟いた。
叫び声の主は、スッポンポン(裸)のフランス人婆ちゃん。
どうやら彼女が後から泊まりに来た客らしい。
びっくりしたのはこっちだが、パードンと一応謝った。
彼女がどうしてスッポンポンになる必要があったのかわからなかったが、まあいい。
婆ちゃんも服を着ながら私に謝った。
スッポンポン婆ちゃんの名前はマルティーヌ。握手すると薬草のような匂いがした。
かなり高齢者の上に訛りが強かったので、話はほぼ聞き取れなかった。
でも私が日本から来て歩いていると言ったら、手をとって祝福の言葉をくれた。
彼女は病気が悪いらしかった。
自分はもう長くない、というようなことを、歌うような節まわしで何度も言った。
聞いているうちに、私はなんだか涙が出てしまった。(涙もろい・・・)
するとマルティーヌは私の涙を節くれだった手でぬぐい、突然歌を歌い出した。
知らない歌だった。
ジプシーの放浪の歌のような、ノスタルジックなメロディーだった。
なんの歌か尋ねたが、歌の名前は聞き取れなかった。
何度もトライしたが、ちっとも聞き取れない。
私が全く理解できないのを見て、彼女は前歯の欠けた笑顔でカラカラ笑った。
翌日。
マルティーヌはバッチリお化粧をして出発した。
ビビッドなグリーンの膝丈タイトスカートをはいていた。
昨夜のスッポンポン婆ちゃんからの〜大変身だった。
(恐ろしきかなフランス人マダム)。
出発前。
マルティーヌは部屋に掛けてあった十字架の上に、マリア様の写真を貼った。
それを見てまたびっくり。
マリア様の顔のド真ん中に鋲が打たれてあったのだ。
日本人の感覚では、絶対ない。
私は彼女が発った後、鋲をマリア様の顔面から外した。
そしてメンディングテープで写真を貼り直した。
さらに十字架の下に折り鶴を貼り付けて、手を合わせ祈った。