カミーノ ことばの巡礼  

深いところで私を変えたカミーノ巡礼。記憶を言葉に還していきます。

巡礼25日目 私がお前を愛しているかどうか、私は知らない。

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巡礼25日目 トラバデロ → オスピタル・ダ・コンデサ

 

わたし「いままで登った山で、どこが一番きれいだった?」

イヴ 「一番というものはない。山はどれもきれいだ」

 

オ・セブレイロを越える。

紫のヒースの花が咲く山道。

頂上近くでは雲海が立ちこめていた。絶景。思わず立ち止まる。

 

 

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巡礼者の像のところで昼食。

自家製ボカディージョとマンダリンをイヴと二人でほおばる。

前を通るペリグリーノが口々に、私たちに声をかけてこう言う。

 

「写真を撮ってくれませんか?」

 

私はフランス人、韓国人、イタリア人の写真を撮ってあげた。

 

昨日アルベルゲで一緒だった自転車巡礼のポルトガル人とも再会。

彼は大汗をかいていた。少し話して、彼は先に進んで行った。

 

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ほどなくオスピタルのアルベルゲへ到着。今日も一番乗りだ。

洗濯機が1€だったので二人分のズボンと上着を洗濯し、乾燥機に放り込む。

そしていつもの村散歩へGO。

 

村はずれの農道を、イヴは気の向くまま歩いて行った。

鉄柵をくぐり、丘を越えて、どんどん進んで行く。

一人だったらこわくて行けないけど、イヴと一緒だったら大丈夫だと思った。

 

小高い丘の上の岩場に出た。360度、下界が見渡せた。

ぽつんぽつんと集落がある他は山しかない。

車の音と飛行機の音が遠くで時々聞こえた。

他には・・・何もない。

 

イヴ 「Panorama」

わたし「Panorama」

 

岩場の上で体育座りして、私たちはそのパノラマをずっと見ていた。

15分くらいだろうか、黙って風に吹かれて。

話すことは何もなかった。黙って、すべて、満ち足りていた。

 

 

アルベルゲに戻ると、二人のドイツ人ペリグリーノがいた。

トラストンとヘルムート。

彼らは平和事業で日本を訪れ、広島・長崎を歩いたという。

顔はいかついけど、優しくて誠実な二人だった。

 

彼らとは英語とフランス語のちゃんぽんで会話した。

実際、私の言語回路はもうメチャクチャだった。

二人は無論、お互いに話す際はドイツ語で会話していたのだが、

このとき不思議なことが起こった。

 

二人のドイツ語が、私の記憶の中に眠っていたゲーテの詩を呼び覚ましたのだ。

私は突然、二人に言った。

 

わたし「(フランス語で)私はゲーテの詩を暗唱することができます」

 

Ob ich dich liebe, weiß ich nicht.
Seh' ich nur einmal dein Gesicht,
Seh' dir in Auge nur einmal,
Frei wird mein Herz von aller Qual.
Gott weiß, wie mir so wohl geschicht!
Ob ich dich liebe, weiß ich nicht.

 

今思っても不思議でならない。

 

私の口をついて出たそれは、大学時代にドイツ語の授業で暗記した詩だった!

でもそれ以来、すっかり忘れていた詩だった!

本当に謎なのだが、それがすらすらと口をついて出たのだ!

トラストンとヘルムートはびっくりしていたが、私の方がびっくりだった!!

 

人間の記憶の摩訶不思議。カミーノ・マジック??

今だにわからない、どうしてあんなにすらすらと暗唱できたのか?

  

私が二人と喋っているうちに、イヴは早々眠ってしまっていた。

ワインを飲みながら私たち三人はまじめに話をした。

ドイツ文学の話や日本映画の話。それから戦争の話。原爆の話。原発の話。 

言葉の垣根を越えて、誠実に話せる人がいることに感動した。幸福だった。

 

 

ゲーテの詩は、こんな意味だった。

 

私がお前を愛しているかどうか、私は知らない。

ただ一度お前の顔を見さえすれば、

お前の目の中をただ一度見さえすれば、

私の心は悩みの跡かたもなくなる。

どんなにうれしい気持ちかは、神さまだけが知っている。

私がお前を愛しているかどうか、私は知らない。

 

その人の国の言葉で、その人の国の詩を暗唱できるということ。

それは敬意でもあり、心と心を通じ合わせる鍵なのだ。

 

その鍵を使って扉を開けたとき、

どんなにうれしい気持ちになるかは、神さまだけが知っている。

 

 

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