巡礼34日目① 人と人が出会うまでの遥かな旅の道程。そこには人智を超えた存在の計らいが関与している。
巡礼34日目① サンチャゴ・デ・コンポステーラ → ビラセリオ
イヴ 「日本語でchienはなんていうの?」
わたし「いぬ」
イヴ 「いにゅ」
わたし「(笑って)Non! いにゅじゃない。い・ぬ」
イヴ 「い・にゅ」
わたし「だからいにゅじゃないいいい」
サンチャゴを出て、私とイヴはフィステーラへ向かった。
町を出るやいなや、早速道がわからなくなった。
大きな町ほど巡礼道の矢印が見つけにくいのだ。
通りすがりの男の人にきいたら、バス停の場所を教えてくれた。
私たちは歩いて行くんだ、と言ったが、無理だからバスにしろと言う。
そこまで行くのは遠すぎる、難しすぎると説教された。
私たちはグラシアスと言って、地図を見直した。
と、ちょうどペリグリーノが通りかかったので、後ろについていった。
サンチャゴを出るとたちまち静かになった。
フォステーラまで徒歩で歩く巡礼は少ないようだ。
サリア以前のカミーノに戻った気がした。
腰と肩に感じるリュックの重みが心地よかった。
イヴ 「日本語でchatはなんていうの?」
わたし「ねこ」
イヴ 「ねこ」
わたし「Oui!」
間
イヴ 「Ouiはなんていうの?」
わたし「はい」
イヴ 「はい」
わたし「Oui!」
イヴ 「Nonは?」
わたし「いいえ」
イヴ 「いいえ」
わたし「Oui!」
二人笑う。
丘の上から、サンチャゴ大聖堂の尖塔が見えた。
ああ、こんなに来てしまった、と思った。
途中、バールで甘いもの休憩。いつものようにコラカオとカフェソロ。
イヴはプリンを、私はチョコレートのパンケーキを食べた。
わたし「(日本語で)プリン、一口ちょうだい」
イヴ 「・・・」←基本的に自分が頼んだものは人にあげない。
わたし「・・・(答えを聞かずに勝手に食べる)」
間
わたし「はい。イヴにもこっち一口あげる(パンケーキを差し出す)」
イヴ 「・・・」
イヴ、パンケーキを手にとり、じっと見つめる。
一間あってから齧り、私にパンケーキを返す。
わたし「イヴ! チョコレートの多い方を選んで食べたでしょ!」
イヴ 「!!!(大爆笑)」←日本語通じている。
薄曇りの空の下。たんたんと静かな道が続いた。
他のペリグリーノには一人二人会ったのみだ。
そのかわりに、向こうから戻ってくるペリグリーノに数名会った。
彼らはフィステーラもしくはムシアへ行って、また徒歩で帰ってきたのだった。
挨拶すると気持ちよい返事が返ってくる。
みんな若くて、とてもいい顔をしていた。
イヴ 「彼らは歩くのが早い」
わたし「そうだね」
イヴ 「彼らは若い」
わたし「そうだね」
間
わたし「イヴも若い」
イヴ 「いや。僕は年をとっている」
わたし「・・・・・・」
イヴ 「(じんわりと)ほんとだよ。僕は年をとっている」
坂道を行くとき、二人連れのペリグリーノに会った。
小さいリュックを背負ったおじいちゃんとおばあちゃんだ。
おじいちゃんは先に歩いて立ち止まっては、後から来るおばあちゃんを待った。
太ったおばあちゃんは息を切らしながら歩いてくる。
少し歩いては立ち止まり、合流してはまた分かれて、二人は仲良く歩いていた。
汗びっしょりのおばあちゃんに、おじいちゃんが何か話しかけた。
おばあちゃんはスペイン語で文句を言ってるようだった。真っ赤な顔がかわいかった。
私たちが挨拶したら、二人も挨拶してくれた。
おじいちゃんがハンカチで、おばあちゃんの額の汗を拭いた。
仲良さそうで、ほほえましかった。
もしイヴがもう少し若かったら、私たちの歩く早さは違っていたはずだ。
そしたら一緒に歩けていなかったに違いない。
すべてのタイミングが完璧に重なって、奇跡的に「今」があるのだった。
もし私が日本を発つのが一日早かったら、出会えていなかったかもしれない。
もし私が今以上にフランス語ができなかったら、会話が成り立たなかったに違いない。
人と人が出会うまでの遥かな旅の道程。
そこには人智を超えた存在の計らいが関与している。そう思えてならなかった。
ユーカリのにおいがするまっすぐな細い道を歩いた。
地面がやわらかくて心地よい。熊野古道を思い出した。
不意にイヴが立ち止まり、リュックのポケットからサインペンを取り出した。
何をするのかと思っていたら、足元の大きな葉の裏に、文字を書いた。
私の名前と、そして矢印を。
MIKI →
イヴ 「(笑顔で)サンチャゴに帰る時、僕はこれを見る」
その言葉を聞いて、ぐっと涙がこみあげた。
泣き顔を見られたくなくて、顔をそむけた。
道が狭くてよかったと思った。
わかってるよ。わかってるけど。そんなこと言わないで。
わたし「その隣にet YVESって書いて!」
イヴは私の名前の隣に自分の名前を書いた。そしてほほえんだ。
フィステーラから帰る時。この道を一人で通るとき。
イヴはこれを見るのかと思うと、胸が詰まった。
曇り空がうっすらと晴れてきた。
風はなかった。
ユーカリのいいにおいがする道を、私たちは二人でゆっくりと歩いた。