カミーノ ことばの巡礼  

深いところで私を変えたカミーノ巡礼。記憶を言葉に還していきます。

巡礼27日目 カミーノは銀河の真下に横たわり、大空にある星々から流れ出しているエネルギーを反映するレイラインに沿っている。

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巡礼27日目 サモス → バルバデロ

 

これから書くことは信じられないことなので、信じなくていいです。

ただ、私にはそう感じられる。だから、書いておく。

 

カミーノを歩いているのは人間の体だけではない。

その体をカミーノに来させた、すべての縁起が体と一緒に歩いている。

その縁起は生まれる前までさかのぼる。

カミーノで悪夢を見る巡礼が多いのは、

無意識に封印した記憶がよみがえり、光に還るからだと思う。

 

 

バルバデロのアルベルゲで深夜、アルゼンチーノの奥さんが悲鳴を上げて飛び起きた。

彼女は悪夢を見たのだと言う。

私はプエンテ・ラ・レイナで見た悪夢を思い出した。

そして彼女もまた、カミーノで魂の巡礼をしているのだと思った。

 

奥さん「(笑顔で)私は日本語、三つ言えます」

わたし「三つ。・・・なんですか?」

奥さん「ありがとう。さよなら。ともだち」

 

彼女と会話したのは夕食の時だ。

イヴはお腹の調子が悪いと言って寝てしまった。

私のためにパスタを作って、それで自分は食べないなんて!

彼のやさしさに、私は逆に腹が立った。

 

一人で食べている時、話しかけてきたペリグリーノがいた。

それがアルゼンチンから来たという、このご夫婦だった。

旦那さんは英語とフランス語が喋れる。

奥さんは英語だけだが、日本が大好きだと言った。

そして、日本の言葉を三つ言えると彼女は言ったのだ。

 

二人とはどこかで会ったと思いながら、私は思い出せずにいた。

サモス修道院を一緒に見学したグループの一員だったと思い出したのは、翌日だ。

 

 

私とイヴの旅は、サンチャゴまで残り100キロを切っていた。

昼に通過したサリアでは、ペリグリーノが一気に増えた。

サリアから歩けば、巡礼証明書がもらえるからだ。

新しいペリグリーノはすぐわかる。

 

1 リュックが小さい。軽そう。

2 着ているものがきれい。靴がゴツくない(泥もついてない)。

3 「オラー」と言わない。

 

人口密度が高くなると、人は挨拶を交わさなくなる。

それでも私たちは目が合うと、「オラー」「ブエン・カミーノ」と言いながら先へ進んだ。

 

サモス修道院で絵はがきを買っていたので、サリアの郵便局から出した。

サリアにはアルベルゲも多く、お土産屋や巡礼用品店まで揃っていた。

川沿いのベンチでランチをしていたら、濃い顔の巡礼が私の名を呼んだ。

陽気すぎるイタリア人ペリグリーノのアルドだ。

 

アルド「(濃い笑顔で)オラ〜! 今日はどこまで行くの〜?」

わたし「バルバデロ」

アルド「バルバデロ〜! ぼくもだよ〜!」

わたし「じゃ、また会うかもね」

アルド「是非会おう! ボナペティ! ブエン・カミーノ!」

わたし「ブエン・カミーノ」

アルド「・・・♪♪♪」

 

笑顔で別れたものの、またアルベルゲで一緒になるのは嫌だった。(ごめん〜)

 

イヴ 「今日から一日に2回スタンプをもらわなきゃいけない」

わたし「うん!」

イヴ 「バールや教会でもらおう」

わたし「うん!」

 

サリアの教会でスタンプをもらった。

受付をしてくれた女性は私たちのクレデンシャルの出発地を見て、ほめてくれた。

サリアから歩き始める巡礼が多い中、私はすでに約一ヶ月歩いていたからだ。

イヴに至ってはなんと二ヶ月だ。(彼はヴェズレーから歩いていた)

 

 

バルバデロのアルベルゲはきれいだった。

私たちはやっぱり一番乗り。

天気がよかったので思いっきり洗濯して、洗濯バサミを使いまくった。

 

イヴは着いて早々ビールを飲んだせいか、お腹の具合が悪いと言った。

庭のパラソルの下にあるリクライニング・チェアーにゴロンと横になった。

私は元気にお散歩だ。

 

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菜の花が満開だった。日本の田舎のようだった。

だけど日本じゃない。その証拠に馬に乗ったポリスが通り過ぎた。

かっこよすぎるポリス。

 

私はどんどん歩いて墓地へ、そして小さな教会へ。

さらに水音をたどって歩くと、小さな聖堂に着いた。

そこはよく手入れされていて、明るいエネルギーに満ちていた。

 

 

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聖堂で、ずいぶん長いこと私は祈った。

ここまで歩かせてもらえたこと、体が元気であることに、感謝した。

すぐ近くの水場では、ほとばしる湧き水を手ですくって飲み干した。

・・・生きている。そんな当たり前の実感がこみあげた。

 

アルベルゲに戻ったが、アルドはいなかった。

イヴは私の顔を見て、ベッドから体を起こした。

 

わたし「アルドがいない」

イヴ 「いなくていい。アルドはうるさい」←やっぱり(ごめんよ〜)

 

そうしてイヴはわたしのために夕食を作ってくれたのだ。

私は二人分作っていると思っていた。一緒に食べるのだと思っていた。

私がサラダ用のトマトを切っている間、イヴは一言も喋らなかった。

今思うと、あの時から彼の体調はよくなかったのだ。

 

 

深夜。女の悲鳴で目が覚めたのは、アルベルゲにいるほとんど全員だった。

アルゼンチーノの奥さんは泣いていた。

私には、彼女の悲鳴の理由が理解できた。

それは悪いことじゃないよと、言ってあげたかった。

 

アルゼンチーノのご夫婦とは、サンチャゴで再会することになる。

アルドとはもう二度と会わなかった。

陽気なだけだったのに、うるさがってごめんね。

アルドにとってのカミーノの意味を、きいてみれば良かったな。

 

 

・・・シャーリー・マクレーン『カミーノ 魂の旅路』。

この本を読んだのは何年も前で、内容はほぼ忘れていた。

でも巡礼後に読み返したら、信じがたいけど本当にそうだと思う部分がいくつかあった。

抜き出しておく。

 

「カミーノは銀河の真下に横たわり、大空にある星々から流れ出しているエネルギーを反映しているレイラインに沿っているといわれている」

レイラインのエネルギーは非常に高い波動を発しており、人の意識がこの高い波動に触れると、思考、体験、記憶が明晰になり啓示が起こる」

レイラインのエネルギーは人間の脳を作っているエーテル体と物質の波動数を高める。このエネルギーの刺激によって、今まで抑圧されていた意識的な気付きや情報が、表面に現れてくるのだ」

 

             『カミーノ 魂の旅路』(著)シャーリー・マクレーン 

                       (翻訳)山川紘矢・山川亜希子

 

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