巡礼30日目② どんなに私が涙を流しても、世界は相変わらず優しくて美しいんだよ、カミーノ。
巡礼30日目② パラス・デ・レイ → リバディソ・ダ・バイショ
「僕のナイフが返ってきたよ」
イヴが嬉しそうにそう言った。
歩いている途中で、一人のペリグリーノがイヴを呼びとめてナイフを渡してくれたのだ。
イヴがそれを使っていたのを覚えていたらしい。
どこかで会ったら返そうと思っていたのだそうだ。
「すごい! 良かったね、イヴ!」
私たちは親切なペリグリーノに感謝した。
リバディソの公営アルベルゲは、キャパ70人。
いつもならそんな大きな宿は選ばないのだけど、この日はここにした。
広いキッチンと食事するスペース(食堂)があったが、誰もいない。
ペリグリーノは沢山いたが、みんなレストランへ行っているようだった。
それもそのはず。ここには調理器具も食器も何一つなかったのだ。
でも私たちは平気だ。
なにしろイヴは小さな鍋も器もちゃんと持っていた。
塩だけはどっさりキッチンにあったので、まずはペンネをゆでた。
合わせはサーディン缶詰とトマト。チーズにチョリソー。
それからスーパーで興味本位で買ったインスタント焼きそば(もどき)もあった。
パンも半分残っていたし、オレンジだってある。充分だった。
石造りの食堂は宿舎から離れたところにあった。静かで涼しかった。
私たちは二人きりの食事をとった。
インスタント焼きそば(もどき)は、微妙な味だったが完食した。
食べ終わってから、イヴがまっすぐ私の顔を見て、きいた。
メリデの教会で私が泣いたことについてだ。
イヴ 「どうして君はミサのあと泣いたの?」
わたし「それを説明するのは難しい」
イヴ 「・・・(静かに待っている)」
間
わたし「あのおばあちゃん・・・」
イヴ 「うん」
わたし「大きな大きな愛を感じたの。聖母マリアのような」
イヴ 「うん」
ジェスチャーを交えながら、一生懸命私は話した。
カトリックじゃない自分は、祝福を受けてはいけないと思っていたこと。
でもおばあちゃんは、そんな小さなことは関係なく愛されていいと言ってくれたこと。
メチャクチャなフランス語だったから、どれだけ通じたかわからない。
でもイヴは誠実に私の話をきいてくれた。
話しながら私は、また涙があふれてきてしまった。
心が思いでいっぱいになっていた。
目の前のイヴからも大きな愛を感じた。
食後はちょっと昼寝をした。イヴは外に出かけた。
人の多いアルベルゲで二段ベッドを使うときは、いつも私が上段でイヴが下段だった。
長身のイヴが普通に立つと、寝ている私の顔と同じくらいの目線になる。
イヴは下の方が動きやすいからありがたいと言っていた。
昼寝から起きて、洗濯物が乾いたかどうか見にいった。
陽のあたる棚の上に、私の靴とイヴの靴が並んで置かれていた。
イヴが出しておいてくれたのだ。中敷もちゃんと外に出ていた。ありがたかった。
アルベルゲの前に川があった。
ペリグリーノたちがお喋りしながら、流れに足を入れて涼んでいた。
私もひんやりとした水に足をつけた。気持ちよかった。
洗濯場の前の木陰に行くと、イヴがベンチに座って本を読んでいた。
私は本を読んでいる彼の姿を見るのが好きだ。
近づくと彼は腰を浮かして、ベンチの横に私を招いた。
わたし「なんの本を読んでいるの?」
イヴ 「バリ島の本」
わたし「(爆笑)なんでバリやねん!」←つっこみは日本語(関西弁)
そこにブラジリアンの巡礼がやって来た。
彼はイヴの友達。サンジャンで一緒のアルベルゲだったらしい。
時々、言葉の壁を超えて通じ合える相手がいるが、
イヴにとっては彼がそういう存在だったのだと思う。
道の途上で時々、出会ってはいたが、アルベルゲで一緒になるのは初めてだった。
小柄で色黒で、顔にはシワがいっぱい。インディアンの古老を思わせる風貌だ。
深い思索を重ねてきた人特有の、哲学者のようなオーラを放っていた。
私が彼ときちんと会話したのは、この日が初めてだった。
彼の声はくぐもっていて、訛りが強い英語は聞きとりにくかった。
魔術師が呪文を言ってるようだった。
握手して、ハグをした。これで魔術師とももう友達だ。
夜。
広いアルベルゲは案の定うるさかった。
新しい巡礼たちはピクニック気分ではしゃいでいる。
消灯になって電気が消されても、まだ大声で笑いあっていた。
ものすごく楽しそうだ。
私は「人に迷惑をかけるのはいけないこと」だと思っていた。
「寝てる人がいるのに騒ぐなんて迷惑」だと思っていた。
でも彼らはそんな常識を持っていないようだった。
楽しいんだからいいじゃないか、という感じなのだ。
他の巡礼も気にしていないようだった。私は我慢した。
「Silence!」
私の下のベッドから、フランス語で怒鳴る声が聞こえた。
・・・イヴだ。イヴが怒ったのだ!
アルベルゲは一発で静かになった。
フランス語はわからなくても、言ってる意味はわかっただろう。
私はイヴが怒ったのを初めて聞いた。
今まで見たことのないイヴの一面に触れた気がした。
そして、ちょっと感動した。
・・・やっと眠りにつけそうだった。
いっぱい泣いた一日であった。
でもどんなに私が涙を流しても、世界は相変わらず優しくて美しいんだよ、カミーノ。
グラシアス。ボンニュイ。また明日。
サンチャゴ到着まで、もう間近だった。