Etape8 Espalion ~ Massip
Etape7 Espalion ~ Massip 23,5km
途中の小さな集落で、民家の前にトラックが止まった。
民家のドアが開き、おじいちゃんとおばあちゃんが出てきた。
トラックの中はお店になっていて、まるでキヨスクのようだった。
野菜や果物、パン、日用品などがずらっと並んでいた。
おじいちゃんは私を見ると、ちょっとうろたえた。
おばあちゃんはじろっと私を見て、不審そうに尋ねた。
おばあ「あんたも買うの?」
わたし「私も買える?」
おばあ「知らないよ。(トラックの運転手を指差して)この人に聞きな」
わたし「(運転手に)飲みものはありますか?」
運転手「(ぶっきらぼうに)ない」
わたし「ない・・・」
おばあ「・・・(買い物をする)」
間
わたし「私、Massipへ行きたいんだけど、この道であってますか?」
運転手「知らない」
わたし「(おばあちゃんに)Massipへ行きたいんだけど、道あってますか?」
おばあ「・・・Continuez(歩き続けな)」
歩き続けた。
家族連れの姿が見えた。
巡礼じゃない。どうやら観光地ゾーンに入ったらしい。
そして見慣れたリュックの後ろ姿も見つけた。
前を歩く四人のうち二人は、ベルナールとジャン・ピエールだ。
彼らとはこの日何度か会ったが、私は一人で歩くことを選んだ。
Verrières
印象的だった小さな村がある。Verrières。
不思議な村だった。懐かしい、郷愁を誘う濃密な空気が満ちていた。
教会の扉が開いていたので、吸い込まれるように中に入った。
くらっと感覚がおかしくなった。いつか見た夢の中に紛れ込んだようだった。
すぐ近くに川が流れていた。
そのそばで一人の男の巡礼が休んでいた。
わたし 「美しい村ですね」
男の巡礼「美しい村だ。・・・その橋を渡ったら、エスタンだ」
Estaing
「フランスの最も美しい村」の一つ。エスタンに到着。
古い橋を渡って、村の中心へ入っていく。
世界遺産オーラ全開。だが聖堂はクローズ。
聖堂を見ながら昼食をとり、ショコラを飲んでからまた歩き出す。
数日前の大雪が嘘のよう。春のようにうららか。
Massip
Massip到着。
予約していたジットには先客がいた。
ジットの名は『L'Orée du Chemin』。すぐ横にウサギ小屋。
ジットの部屋割り表。私とウルリケの下にビルの名前もある。
この日、ウルリケは到着しなかった。
ベジタリアン・メニューの夕食を注文していたのにドタキャン。
ジットのシェフはお怒りだった。
それもそのはず。ここの夕食はめちゃウマだった。
手が混んでいて、シェフのこだわりは随所に感じられた。
今まで食べた中で一番美味しかった。
巡礼者メニューではない。フランス料理のコースといっていい。
シェフはものすごい早口で、全ての料理とワインの説明をした。
デザートについてだけは単語が分かったので全部理解できた!(自慢)
ここでお箸を使って私が食べていると、厨房からみんなが出てきて写真をとった。
(そんなに珍しいのか、日本の箸文化・・・)
私が自前の箸で何かつまむたびに、みんなが感嘆の声をあげた。
韓国や中国と違って、日本の箸は先が細いと説明したら、みんな唸った。
この夜、食卓を囲んだのは七人。
五人のフランス人とアメリカ人のビル、そして私。
フランソワという男性は英語ができたので、ビルに通訳して話を繋いでくれた。
アヴィニョンから来たというご夫婦には、私が歌を歌ったら喜ばれた。
「アヴィニョンの橋で〜、オ・ニ・ダンス〜♪、オ・ニ・ダンス〜♪」
ビルはウルリケが到着しなかったので心配していた。
「彼女は足が遅いからきっと諦めたのだ」と私は彼に説明した。
心配しても仕方がないし、ウルリケはきっと大丈夫だと私は思っていた。
明日はいよいよコンクに到着する。
ルピュイの道の中でも、最も美しいとされる村。
以前、雑誌でこの村の写真を見て以来、私はずっと訪れたいと思っていた。
ツアー旅行ではなく、単独で、歩いて行きたいと思っていた。
その願いが明日叶うのだと思うとワクワクした。
一人で部屋を独占できたこともあり、私はくつろいでぐっすりと眠った。