カミーノ ことばの巡礼  

深いところで私を変えたカミーノ巡礼。記憶を言葉に還していきます。

巡礼15日目 僕は歩くマシーンになる。景色と僕は一つになる。僕は道になり道は僕になる。

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巡礼15日目 オンタナス → ボアディージャ・デル・カミーノ

 

オンタナスを出て1時間ほど歩いたところに、サン・アントンの修道院跡があった。

その壁に触れると、心がしんとした。

朝の空気が澄んでいたからだろうか、自然と神聖な気持ちになった。

 

アルベルゲでは、Kさんとまた一緒になった。

パンプローナで会ったオーストラリア人の巡礼とも再会。

水道で水の出し方を教えてくれた小柄の男性だ。

ものすごい寝癖で髪があっちゃこっちゃマンガみたいになっている。

私のことを覚えていたらしく、握手を求められた。

彼の名前はマルコルム。

 

 

夕食はアルベルゲの食堂で、巡礼者みんなで食べた。

15人くらいいただろうか。

私の前にイヴ。左隣にデンマーク人の男性。

Kさんは食卓の中心に座っていた。

 

デンマーク人の男性と私は、頑張って英語で会話した。

話題は最近感じていた、カミーノの素晴らしさについて。

道を歩くことは瞑想と似ている、と私が言うと、彼はうなずいて答えた。

 

「そのとおり。カミーノを歩くことは瞑想だ。

 思考が次第になくなって、僕は歩くだけになる。

 僕は歩くマシーンになる。

 景色と僕は一つになる。

 僕は道になり道は僕になる。

 今まで感じたことのない素晴らしい体験だ」

 

詩のような彼の言葉を、私はメモした。

 

 

イヴもカタコトの英語で話をしていた。

けれどフランス人はフランス語しか話したがらないというのは本当のようだった。

イヴが次第にフランス語で話し出すと、

話された相手のほうが、フランス語で返事しようと努力するのだった。

目の前の相手の言語に合わせようとする意識が、イヴには薄いのだ。

日本人にはない国民性だと思った。

 

反対に日本人のKさんはすごかった。

彼は英語はもちろん、フランス語、イタリア語、スペイン語が話せるのだった。

それぞれの国の言葉で、それぞれの国の人に話しかけていた。

さらに、いくつかの国と国とを結ぶ通訳もしていた。

ある意味それは、極めて日本的な気の遣い方だと思った。

 

「この先のカリヨンでは日本食レストランがあったから、そこへ行くといいよ」

食後にKさんが私に言った。・・・カミーノのお告げである。

 

カリヨン・デ・ロス・コンデス。

明日はそこまで行こう、私はイヴにそう言った。

 

はたしてそこで私は、カミーノで二人目の日本人と出会うことになる。

 

 

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