カミーノ ことばの巡礼  

深いところで私を変えたカミーノ巡礼。記憶を言葉に還していきます。

Etape15 Limogne-en-Quercy ~ Vaylats②

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Etape 15  Limogne-en-Quercy ~  Vaylats② 16km

 

ジェニファーは私が来たことに大喜びだった。

案内係のクロディーは私たちを歓迎した。

 

英語の話せるクロディーは白髪のおばあちゃん。

私にはフランス語で、ジェニファーには英語で説明した。

でも時々英単語がわからなくなり、瞬間的にパニックになる。

そしてフランス語で私に「なんていうんだっけ?」と質問する。

私は単語だけは即答できたので役に立った。

三人で一生懸命、それぞれの言いたいことを理解しあい、笑いあった。

 

クロディー 「ジェニファー、あなたはクリスチャン?」

ジェニファー「YES」

クロディー 「MIKIは?」

わたし   「Non。でも私はカテドラルやマリア様が大好きです!」

ジェニファー「MIKI、カトリックじゃないの?(びっくり)」

わたし   「(おずおずと)クリスチャンじゃなくても、泊まれます?」

クロディー 「もちろんよ」

 

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寝室棟は離れた場所にあった。

二階へ上がり、一部屋にベッドが三つある清楚な部屋の鍵をもらう。

クロディーは最初、私とジェニファーを同部屋にする予定だった。

が、ジェニファーがそれを断った。

 

「私はいびきがうるさいから、一緒だと彼女が眠れない。もし良ければ・・・」

 

クロディーは了解してくれた。

いびきのおかげで、一人一部屋の贅沢! ありがとう〜!

 

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窓の外には大きな庭。青空と緑が美しい。

ジェニファーが隣の部屋から顔を出し、「シャワーお先にどうぞ」と言った。

彼女はいつもそうなのだ。なんでも自分を人より後にする。

私は好意に甘えて、ありがたく先にシャワーを浴びた。

 

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シャワーの後はお洗濯。天気がいいからもりもり洗いたい。

でも何しろ敷地が広いので、洗濯場の場所がわからない。

うろうろしていると、ちょうどジェニファーがシャワーをすませて出てきた。

彼女も洗濯場を探しているらしい。

 

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私たちはクロディーに聞きに行った。洗濯場は別棟だった。

クロディーはわざわざ出てきて、リネンの積まれた石の洗濯場へ案内してくれた。

そして石鹸やバケツを補充し、手洗いのデモンストレーションまでしてくれた。

 

クロディー「こうやって、手で力を入れてこするッ! そしてこっちですすぐッ!」

わたし  「(日本語で)はいッ!」

 

小さな子供に説明するお母さんのよう。私たちは素直に説明を聞き、感謝した。

 

ジェニファー「MIKI・・・(先に洗濯して、というアクション)」

         間

わたし   「Together!」

 

私たちは二人で一緒に互いの洗濯物を洗い、すすぎ、二人で絞った。

 

L'église de Vaylats

 

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クロディー「聖堂はこの時間、閉まっているの。こっちから入って」

 

それから私たちは聖堂へ案内してもらった。

91才だというおじいちゃん司祭が裏口の鍵を開けてくれた。

 

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こんな田舎にどうしてこんな立派な聖堂があるのか。

歴史的なことを聞きたかったから質問したものの、司祭の説明が全く理解できない。

ああ、もっとフランス語がわかったらなあと超絶思った。

司祭は私たち二人の為に全ての電気をつけ、ゆっくり見る時間を割いてくれた。

 

Couvent de Vaylats

 

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修道院の中にももちろん教会や礼拝堂があった。

こちらも美しかった。(写真は小礼拝堂)

私たちは夕食前にミサにあずかり、シスターたちと一緒に祈りを捧げた。

 

この修道院は一般客用のホテルと高齢者のための施設(ホスピス)も兼ねていた。

だからだろう、ミサには車椅子の方や認知症と思われるおばあさんもいた。

彼らをケアしているシスターたちの方が高齢だったのが印象的だった。

 

夕食は野菜スープに魚料理が出た。

お芋の入ったお粥のようなサイドメニューも出て、何から何まで美味しかった。

みんなから勧められるままに、私はいっぱいお代わりしてしまった。

シスターたちは笑顔で、給仕しながら話しかけてくれる。

クロディーも私たちと同席し、いろいろ教えてくれた。

 

クロディー 「あのシスターは92才よ」

わたし   「92才!」

ジェニファー「若い人はいないの?」

クロディー 「若い人は今、修道院に入らない」

 

おばあちゃんシスターズは、くるくると見事に働いた。

決して押し付けがましくはない、「奉仕」の精神を感じた。

性別を超越したような彼女たちはたくましく、そして明るかった。

 

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部屋に戻って私は考えた。

どうしてシスターたちはあんなにホスピタリティーに溢れているのだろうか。

信仰から、それは来るのだろうか?

だとしたら信仰とは何なのだろう?

 

私はスペインでもフランスでも、たくさんの教会でミサにあずかってきた。

でもミサとは一体何なのか、知らなかった。

それは失礼ではないか。

ただ巡礼だからといって泊めてもらってきたけど、それでいいのだろうか?

 

なにか、なにか、彼女たちに感謝を表したかった。

折り鶴、それは渡せる。いくらだって折れる。

でももっと、ここでは違う何かで伝えたかった。

 

私はその晩、「主の祈り」をフランス語で丸暗記した。

 

「Notre Père」

 

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翌朝。食事のテーブルで、私はみんなに折り鶴を渡した。

それから、92才のシスターの手を握って言った。

 

「私は昨日、主の祈りを覚えました。感謝を込めて言います」

 

Notre Père qui es aux cieux, que ton nom soit sanctifié,

que ton règne vienne que ta volonté soit faite sur la terre comme au ciel.

Donne-nous aujourd'hui notre pain de ce jour.

Pardonne-nous nos offenses comme nous pardonnons aussi à ceux

qui nous ont offensés, et ne nous soumets pas à la tentation,

mais délivre-nous du mal. Amen!

 

シスターは目を丸くした。それから私を抱きしめた。

一緒にいたクロディーは私の手を引いて、別のシスターのところへ連れて行った。

 

クロディー「はい、言ってッ!」

わたし  「(日本語で)はいッ!」

 

私は何人ものシスターのところで「主の祈り」を唱えることになった。

(おかげでそれは思いっきり体に入ってしまった)

聞いてくれたシスターたちは喜んで私の手を握り、抱きしめた。

 

出発前。

クロディーは私を朝のミサにこっそり入れてくれた。

近しい信者しかいないミサ。

柔らかな光の中で司祭が進行する。

おこがましいと最初は断ったけど、クロディーは真剣だった。

 

聖書を開き、聖句を指差し、クロディーは私の横で導いてくれた。

私もたどたどしくフランス語の聖書をともに朗読し、聖歌を歌った。

 

クロディー「(ウィスパーで)次、主の祈りよ」

わたし  「・・・(うなづいて)」

 

涙が溢れて止まらなかった。

ハンカチで拭いても拭いても鼻水が出てきて恥ずかしかった。

鼻をすすりながら私は、「主の祈り」をフランス語で一緒に唱えた。

 

ミサが終わると、クロディーは私の目をじっと見て言った。

 

クロディー「MIKI、あなたは来年またここにいらっしゃい」

わたし  「・・・」

クロディー「三月に来る? 四月? 私ここにいるようにするから」

わたし  「・・・はい」

クロディー「(お茶目に)ここで洗礼受けちゃいなさい」

 

教会の入口近くで祈りを捧げていたジェニファーが、私たちに合図した。

出発の時間だ。

私たちはクロディーからリンゴとバナナとオレンジを渡された。

 

ジェニファーに教えてもらわなかったら、来ることのなかった修道院

そこが、また戻ってきたいと思う場所になってしまっていた。

 

ロカマドール行きのバスが来なかったのは、悪いことじゃなかった。

全ては導かれ、守られている。

 

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